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ロシアの国旗 極東とシベリア(ロシアの観光地 3)

サハリン

サハリン (Сахалин / Sakhalin) は、北海道の北に位置する島で、かつてはアイヌ語語源の「カラフト(樺太)」と呼んでいました。
もともとアイヌが住んでいた島で、18世紀に江戸幕府が、19世紀にロシアが入り、日露戦争後の1905年に北緯50度から北をロシア領、南を日本領と定めました。
第二次大戦後の1951年にサンフランシスコ講和条約で、日本は千島とともにサハリン南部の領有を放棄しましたが、ソ連が同条約に不参加だったため、現在も日本政府はロシアの領有を承認していない立場を取っています。
ただ、北方四島とは異なり返還論もほとんどなく、実質的にはロシア統治を暗に認めているのが現状です。

南北1000kmに及ぶ細長い島で、面積は北海道より少し狭い程度です。
島全体で55万人程度の人口で、北部は石油や天然ガスを産出します。
手付かずの自然と、古き時代の日本の面影が残る町の散策が旅のポイントですが、全体的に観光設備やサービスにおいては未整備の状況です。
新千歳、函館からユジノサハリンスクへは飛行機で、稚内からコルサコフへは約5時間のフェリーで入れる日本に最も近い「ヨーロッパ」です。

ユジノサハリンスク (Южно-Сахалинск / Yuzhno-Sakhalinsk)
サハリン南部の東と西を山脈で挟まれた盆地にある人口18万人ほどの州都で、日本から空路の入り口の町でもあります。
「南サハリン」の意で、旧日本名は「豊原(とよはら)」です。
住民の2割は戦前の日本統治時代に移住してきた朝鮮系が占めるといわれます。
碁盤目状の街路に近年デパートやスーパーが登場して近代化が進行中ですが、日本領時代の建物も残っており、美術館や博物館は当時の建物をそのまま活用して日本関連の展示もされています。
日本の国鉄が統治時代に持ち込んだ蒸気機関車「D51(デゴイチ)」が牽くコルサコフまでのツアー用観光列車が人気ですが、老朽化が進んでいていつまで運行されるかは不明です。
コルサコフ (Корсаков / Korsakov)
ユジノサハリンスクの南40km、サハリンの南岸に開けたアニワ湾 (Залив Анива / Aniva Bay) の奥にある人口4万人ほどの町で、旧日本名は「大泊(おおどまり)」です。
稚内からのフェリーが入る日本からの海の玄関です。
坂の多い市内に日本統治時代の建物が残ります。
ノグリキ (Ноглики / Nogliki)
ユジノサハリンスクの北550km、サハリン北東岸近くにある町です。
サハリン北部に住む少数民族に関する「北方民族博物館」が観光スポットです。
アクセスはユジノサハリンスクから夜行列車が一般的です。
オハ (Оха / Okha)
ユジノサハリンスクの北750km、サハリン北部にある人口3万人ほどの町です。
1880年から石油産業が発展した町で、比較的近代的な町になっています。
アクセスはユジノサハリンスクから国内線か、ノグリキからのバスになります。

ウラジオストク

ウラジオストク (Владивосток / Vladivostok) は、ロシア極東の最南部、日本海に突き出すムラビヨフ・アムールスキー半島の先にある人口70万人余の極東最大の都市です。
「ウラジオストク」とは、ロシア語で「東方を征服せよ」という意味があります。
1860年に清朝からロシアに移譲され、重要な不凍港として海軍が置かれました。
明治時代から日本人も居留し、ロシア革命直後には日米英の外国軍が駐留しましたが、以後冷戦で軍港として立ち入り禁止となりました。
ソ連崩壊後の1992年に一般解放されています。
坂が多く、ヨーロッパ風の町並みは「東洋のサンフランシスコ」といわれます。
市内は日本の中古車が日本での塗装、広告のまま走り回っているということです。

金角湾 (Бухта Золотой Рог / Golden Horn Bay)
半島の南から幅1kmほどで細長く切れ込む湾で、南の湾口から北東へ4km入り、そこから折れ曲がって東へ6km入る「く」の字形をしています。
天然の良港で、軍艦や海軍の艦艇、貨物船などが停泊しています。市街の主要部はほぼこの湾沿いに広がっています。
中央広場 (Центральная Площадь / Central Square) 
金角湾が東へ折れ曲がる地点の北側にある広場です。
東西に走るメインストリートのスベトランスカヤ通り (Улица Светланская / Svetlanskaya Str.) に面し、中央には革命戦士の像、周辺には帝政ロシア時代の建物が残っています。
毎週金曜日に自由市場が開催されて市民で賑わいます。
アルセーニエフ郷土史博物館 (Приморский Государственный Объединенный Музей им. В.К.Арсеньева / Arsenyev Regional Museum)
中央広場そばの交差点角にある博物館です。
20世紀初頭に、付近の先住民ナナイ族の猟師デルス・ウザーラとともに沿海州の探検をした地質学者アルセーニエフを記念したもので、極東の歴史や自然に関する展示を行っており、アイヌに関する資料もあります。
建物は1906年完成の赤レンガ造りで、戦前には横浜正金銀行(現東京三菱UFJ銀行)の支店が入っていたものです。
潜水艦 C-56 博物館 (Мемориальная Подводная Лодка С-56 / C-56 Submarine Museum)
中央広場の南東、金角湾沿いの太平洋艦隊司令部そばに陸揚げされている潜水艦C-56号です。
第二次大戦時に艦隊の1隻として配備されていたもので、艦内が博物館として公開されています。
なお「C-56」の "С" はロシア文字で、「エス」と読みます。
鷹の巣展望台 (Сопка Орлиное Гнездо / Eagle's Nest Mount) 
中央広場の北東2kmにある高さ200mほどの山で、金角湾をはじめ市街が一望できる展望台です。
歩いても登れますし、南麓からはケーブルカーもあります。
ウラジオストク駅 (Владивостокский Вокзал / Vladivostok Station)
金角湾の西側、中央広場の南西にあるシベリア鉄道の始発駅です。
ここから西へシベリアを横断し、モスクワまで9288kmの鉄路がつながっています。
ナホトカ (Находка / Nakhodka)
ウラジオストク東南東80kmにある人口20万人ほどの港町です。
ウラジオストクの補完的な役割を果たし、冷戦時代は軍港として外国人の立ち入りを禁止したウラジオストクの代わりに、極東貿易の玄関となり、シベリア鉄道も外国人はここが起点とされました。
ウラジオストク開放後は重要性は低下しましたが、現在も貿易港としての役割を果たしています。
また第二次大戦後に、日本のシベリア抑留者が帰国した港として知られています。
観光スポットはほとんどありませんが、ウラジオストクからの日帰りツアーがあります。

ハバロフスク

ハバロフスク (Хабаровск / Khabarovsk) は、ウラジオストクの北北東700kmにある人口60万人の都市です。
町の西側をアムール川が流れ、南西30kmのウスリー川 (Уссури / Ussuri) との合流地点が中国との国境になっています。
冬は零下40度に達する酷寒の気候です。
1858年にロシア帝国の監視所が置かれたのが最初で、ロシア革命時代に一時日本軍が占領したこともあります。
現在は工業が発達し、極東の行政の中心地になっています。
第二次大戦後の日本兵のシベリア抑留では多くがこの近辺で強制労働に従事し、帰国が叶わずに没した人々の墓地があり、近親者の墓参が行われています。

アムール川 (Река Амур / Amur River)
ハバロフスクの西を流れる大河です。
モンゴル東部に源を発し、ロシアと中国北東部の国境を流れ、ハバロクスクから北東に向きを変えてサハリン北端近くのオホーツク海に注ぎます。
大量の淡水が閉じたオホーツク海に注ぐため、冬季には流氷の源となると考えられています。
5月中旬から10月中旬は遊覧船が出ます。
なお、2005年11月に上流の中国・吉林市の化学工場爆発事故で流れ込んだベンゼン化合物汚染をはじめ、中国側の環境保全概念のない開発で、汚染が深刻だということです。
ムラビヨフ・アムールスキー通り (Улица Муравьева-Амурского / Muravyov-Amursky Street)
市街を東西に走る約2kmのメインストリートで、ショップやレストランが並んでいます。
アムール川河畔近くの西端には「教会広場 (Комсомольская Площадь / Komsomol Square)」、市街の中心部となる東端にはレーニンの銅像が建つ「レーニン広場 (Ленина Площадь / Lenin Square)」があります。
教会広場に面して「ウスペンスキー教会 (Успенский собор / Dormition Cathedral)」が建っています。
極東美術館 (Дальневосточный Художественный Музей / Far East Artist Museum)
教会広場のそばにある美術館です。
ロシアのイコンや地元作家の作品の他、ヨーロッパの絵画もあります。極東の少数民族の衣装や工芸品などの展示もあります。
かつては帝政ロシアの将校の集会所で、文豪チェーホフも宿泊したことがあったという建物です。
極東ロシア軍歴史博物館 (Военно-Исторический Музей / Military Historical Museum)
極東美術館の向かいにある赤レンガの建物の博物館で、20世紀初頭には銀行が入っていた建物です。
極東開拓の歴史や、日本軍のシベリア出兵の資料、1945年の満州における関東軍との戦闘のジオラマなどもあります。
郷土史博物館 (Государственный Музей Дальнего Востока / Regional Museum)
教会広場の北西にある、古い赤レンガの建物の博物館です。
1896年の開設で、極東地域の歴史や自然、風俗に関する展示が行われています。
日本人墓地 (Японское кладбище / Japanese Cemetery)
市街中心部の東5km、広大なロシア人墓地の中にある第二次大戦後のシベリア抑留で亡くなった日本人兵士の墓地です。
310名の墓と、日本からの墓参団が建てた慰霊碑があります。日本からのツアーにも組み込まれています。

イルクーツク

イルクーツク (Иркутск / Irkutsk) は、シベリアの中南部、アンガラ川沿いにある人口60万人の町です。
この地域の中心地で、シベリア鉄道が通っており、バイカル湖観光の拠点でもあります。南南東500kmにはモンゴルの首都ウランバートルがあります。
アンガラ川の西岸に駅があり、中心部は東岸にあります。
17世紀に農耕武装集団のコサック兵が宿営地を設けたのが始まりで、シベリア奥地や極東探検の拠点として、中国やモンゴルへの隊商の中継地として、また天然資源の開発地として発展しました。
また19世紀までは中央からの貴族や政治犯の流刑地でもあり、第二次大戦後には日本兵の抑留者もいました。
現在は工業都市として発展し、19世紀から残る美しい町並みは「シベリアのパリ」といわれます。

郷土史博物館 (Иркутский краеведческий музей / Irkutsk Museum of Regional Studies) 
市街中心部の西寄り、アンガラ川近くにあるイルクーツク周辺の民族や生活に関する資料を展示する博物館です。
19世紀末に建てられたレンガ造りの建物で、少数民族の衣装や生活用品の展示が多くあり、シャーマニズムに関する展示もあります。
デカブリスト博物館 (Музей Декабристов / Decembrists' House)
市街中心部の東寄りにある、かつてのデカブリストが住んだ家を博物館にしたものです。
1825年に農奴制と専制政治に反抗した貴族の将校たち(デカブリスト)が蜂起した「デカブリストの乱」の後、当地に流刑となったデカブリストたちが住みました。
内部には当時の家具や装飾品が残され、デカブリスト関係の資料も展示しています。
「トルベツコイの家 (Сергея Трубецкого / Trubetskoy's House)」と「ボルコンスキー公爵の家 (Сергея Волконского / Volkonsky's House)」の2つがあります。
スパスカヤ教会 (Спаская Церковь / Spaskaya Church)
市街中心部の北寄りにある教会です。1710年の創建で、石造りの教会としては東シベリア最古です。
ソ連時代は映写機修理所として使われましたが1982年から郷土史博物館の分館として、宗教関連の展示が行われています。
ズナメンスキー修道院 (Знаменский Монастырь / Znamensky Convent)
市街の北東、旧市街の北側を流れるウシャコフカ川の対岸にある修道院です。
1689年に女子修道院として建立され、1762年には石造りに改修されました。ソ連時代は飛行機工場となっていましたが1994年に修道院に戻されています。
教会内には17〜19世紀のイコンが残され、敷地内にはデカブリストたちの墓地もあります。
木造建築博物館 (Музей Деревянного Зодчества / Wooden Architecture Museum)
イルクーツクの南東50km、バイカル湖へのルート途中にある村タリツィ (Тальцы / Tal'tsy) にある野外博物館です。
18〜19世紀の木造の教会や民家が40ほど集められており、生活の様子や農具などが復元されています。
バイカル湖 (Озеро Байкал / Lake Baikal)【世界遺産】
東シベリアにあるアジア最大の湖で、2000万年前にできた世界最古の湖とされています。
南北636km、最大幅80kmの細長い三日月形で、面積は琵琶湖の47倍、最深部は1743mと世界最深、透明度も40mと世界最高を誇ります。
多くの固有種の生物が棲んでおり、キャビアがとれるチョウザメもいます。
多くの川が流入しますが、出て行くのは南西端近くのアンガラ川 (Река Ангара / Angara River) のみです。12〜5月は凍結します。
湖岸の拠点はイルクーツクの南東70km、アンガラ川が流れ出る位置にある村リストビヤンカ (Листвянка / Listvyanka)で、湖上遊覧船も出ます。イルクーツクからも観光ツアーがあります。


ロシアの観光地

極東、シベリアの地図

ユジノサハリンスクの町ユジノサハリンスクの町
(Photo Yuzhno-Sakhalinsk by shinyai)

ユジノサハリンスク、サハリン郷土史博物館(旧樺太庁博物館)ユジノサハリンスク、サハリン郷土史博物館(旧樺太庁博物館)
(Photo CIMG0595 by Ignacio Gallego)

ウラジオストクの港と街ウラジオストクの港と街
(Photo Vladivostok Harbor by Sistak)

ウラジオストク、中央広場ウラジオストク、中央広場
(Photo Vladivostok by Sistak)

潜水艦 C-56 博物館潜水艦 C-56 博物館
(Photo C-56 Submarine by paukrus)

ウラジオストク駅、シベリア鉄道の始発駅ウラジオストク駅、シベリア鉄道の始発駅
(Photo Vladivostok Train Station by Sistak)

冬のアムール川冬のアムール川
(Photo IMG_0749.JPG by Helen Flamme)

ハバロフスク、ウスペンスキー教会ハバロフスク、ウスペンスキー教会
(Photo Khabarovsk, Russia by Sharon Hahn Darlin)

ハバロフスク、冬のレーニン広場ハバロフスク、冬のレーニン広場
(Photo Lenin Square by Borya)

イルクーツク、スパスカヤ教会イルクーツク、スパスカヤ教会
(Photo DSCN0923.JPG by tak.wing)

タリツィ、木造建築博物館タリツィ、木造建築博物館
(Photo Wooden Churches by scjody)

バイカル湖バイカル湖
(Photo Lake Baikal - 092 by Kyle Taylor, Dream It. Do It.)

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