チェコは、ヨーロッパ中部、西にドイツ、北にポーランド、南にオーストリア、東にスロバキアと、かつての冷戦時代の東側にあった国です。
北西部は広大なボヘミア盆地、南部から東部にかけてモラビア丘陵が広がります。
10世紀に王国ができ、15世紀からハプスブルク家の支配を受け、第一次大戦後の1918年にチェコとスロバキアが合同してチェコスロバキアが成立しました。
その後、ナチスによる占領と国の解体、そして第二次大戦後の解放の間もなくソ連の圧力で共産化し、強国支配の歴史が続きました。
1968年の民主化運動「プラハの春」はソ連に制圧されましたが、1989年の「ビロード革命」で国民悲願の民主化を達成、1993年には国内対立から民族の異なるスロバキアとの連邦を解消しています。
苦難の歴史を持ちながらも、中世の遺産を大切に守っている国です。
面積 : 7.9万ku(北海道程度)
人口 : 1026万人(2006年)
人種 : チェコ人(8割)
言語 : チェコ語
宗教 : カトリック(4割)、無神論(4割)
《気候》
四季があり、温暖な春秋、暑い夏、寒さが厳しい冬という内陸性の気候です。夏は比較的乾燥し、朝夕は涼しく過ごしやすい気候です。
《時差》
日本標準時 − 8時間です。
3月最終日曜日〜10月最終日曜日はサマータイムで 日本標準時 − 7時間 となります。
《アクセス》
日本からの直行便はなく、プラハまでミュンヘンから1時間10分前後、ウィーンから1時間前後です。
《ビザとパスポート》
ビザは観光で90日以内の滞在なら不要です。
パスポートは残存有効期間が入国時に6ヶ月以上必要です。
チェコ旅行に関する基本情報、雑学、関連サイトリンクなどのページ
チェコ旅行のいろいろ情報
チェコへのツアー情報のページ
チェコへのツアー
チェコへのツアー予約
《JTB》
プラハ
《日本旅行》
プラハ
その他各地
チェコへの格安航空券の予約
プラハ
チェコのホテル予約
プラハ
カルロビ・バリ
チェスケー・ブディヨビツェ
チェスキー・クルムロフ
ブルノ
宿泊日まで20日以内のホテル予約
プラハ
観光地ガイドのガイド
●自然物・景観・公園 ●人工庭園・公園 ●保養地 ●遊園地 ●遺跡 ●史跡 ●町・村・集落 ●繁華街・通り・広場
●寺院・教会 ●美術館・博物館 ●城・宮殿 ●その他建築物 ●有名人記念館 ●市場・商業施設 ●生産施設
★世界遺産
・ガイド中の距離記述は、管理人が地図から求めた直線距離です。
チェコ中西部、ボヘミア盆地の中央部にある人口120万人の首都です。市内をブルタバ川(Vltava)(ドイツ語ではモルダウ川(Moldau)と呼び、日本ではこちらのほうが著名)が流れています。
14世紀の神聖ローマ帝国の頃に最も栄え、当時からの古い建造物が残る中心部は世界遺産に指定され、尖塔が多く立つ市街は「百塔の町」といわれます。
なお英語では、綴りは"Prague"で、発音も”プラーグ”になります。
プラハ中心部の地図
プラハ近郊の地図
旧市街の中心にある広場です。
11世紀頃から次第に広場が形成され、14世紀ごろまでに広場をとりまくさまざまな様式の建造物ができあがりました。
広場の北寄りに、14〜15世紀のボヘミアの宗教改革者「ヤン・フスの像」が立っています。
旧市街広場の西側に建つ建物です。1338年建造のバロック様式で、高さ70mの尖塔には展望台があります。
南側にある大きな「天文時計(Orloj)」が名物で、毎正時にキリスト12使徒の人形が現れる仕掛けが観光客に人気です。
旧市街広場の北西に建つ、18世紀に造られた美しいバロック様式の教会です。
1500uに及ぶフレスコ画が描かれた丸天井があります。音響効果が良く、コンサートがよく開かれています。
なお、”ミクラーシュ”は”聖ニコラス”の意です。
旧市街広場の東側にあるゴシック様式の教会です。1365年に創建されて聖母マリアを祀り、16世紀頃まで改築が重ねられました。
アダムとイブを表すという、2本の高さ80mの尖塔が特徴です。
内部には15世紀のキリストや聖母マリアの像の他、17世紀頃のフレスコ画もあります。
旧市街広場の西0.5kmにあるブルタバ川に架かる橋で、プラハのシンボルです。
カレル4世(ドイツ語名:カール)の命で約60年の歳月をかけて1402年に完成した古い石橋で、長さ515m、幅10m、16本の橋脚、橋の両端にゴシック様式の橋塔があります。
左右の欄干には各15体、計30体の聖人やチェコの英雄の見事な彫像が並んでいます。
特に旧市街から向かって右側の8番目「ヤン・ネポムツキー像」の台座のレリーフに触ると幸福が訪れるといわれます。
堂々たる橋ですが歩行者専用になっています。
カレル橋の南、ブラタバ川沿いにある博物館です。
交響詩「モルダウ」で有名な作曲家スメタナが1863年から7年ほど住んでいた家を博物館にしたものです。
彼の生涯や作品に関する展示があり、広場には記念像があります。
旧市街広場の北の地域です。古くからユダヤ人が住み着いていた地区で、19世紀には町の人口の3分の1を占めていました。
現在もあちこちにユダヤ教会(シナゴーグ/Synagoga)があり、地区の西には15〜18世紀に埋葬された1万2千基の墓がある「旧ユダヤ人墓地(Stary Zidovsky Hrbitov)」もあります。
旧市街広場の東0.4kmにある、1911年完成の華麗なアールヌーボー様式のホールです。
一般的な催し物に使われる他、毎年5月に開かれるヨーロッパ屈指の音楽祭「プラハの春」のオープニング会場となる「スメタナ・ホール(Smetanova Sin)」があります。
市民会館の南にある高さ65mの塔で、下部は門になっています。
11世紀に町の門として造られ、17世紀にロシア軍侵攻の際に火薬庫として使われたためにこう呼ばれます。
旧市街広場の南0.4kmから南東に700mほど続く、両側を道路に挟まれた幅50mの長い広場で、沿線は繁華街になっています。
1969年の「プラハの春」の際に広場の「聖バーツラフ騎馬像」前で、ソ連の介入に学生が焼身自殺を図って抗議した事件や、1989年の「ビロード革命」では市民100万人がここに集まったという、独立の歴史において重要な場所です。
バーツラフ広場の南東端の先にある博物館です。
1890年創設の国内最大の博物館で、自然科学や考古学、地質などの展示があります。鉱物標本は世界有数の展示規模を誇ります。
国立博物館の南南西0.7kmにある、チェコの作曲家ドボルザークに関する博物館です。
1961年に生誕120周年記念として建てられたもので、作曲に使ったピアノや自筆の楽譜などが展示されています。
旧市街広場の南西1km、ブルタバ川河畔に建つネオ・ルネサンス様式の劇場です。
ハプスブルク家支配の時代に、ドイツ語を強制されていた市民がチェコ語による舞台を目指して国民の寄付で建造し、落成直前の火災で焼失にもかかわらず再度集まった寄付金でわずか2年後の1883年に完成したものです。
設計、内装もチェコの芸術家が行い、こけら落としも作曲家スメタナのチェコ語の歌劇でした。現在も歌劇やバレエが上演されています。
ブルタバ川の西岸、カレル橋を渡った先の一帯の地区です。石畳や坂が多く、教会や修道院が点在する落ち着いた地域です。
地区の南には市街が一望できる「ペトジーン公園(Petrinske Sady)」があります。
小地区の北の丘に建つ王宮で、国内最大の規模を持つ城です。
9世紀半ばに建造され、以後支配者の居城となり、現在は一部が大統領官邸になっています。
14世紀のカレル4世時代の旧王宮や宮殿、教会、修道院などが建ち並び、3つの中庭があります。
10世紀が創建で、14世紀に壮麗なゴシック様式に建て替えられた「聖ヴィート教会(Katedrala sv. Vita)」、プラハ最古の920年創建でロマネスク様式の「聖イジー教会(Klaster sv. Jiri)」などの見所があります。
プラハ城の北、城の裏手にある路地です。
16世紀頃に城に仕える召使いが住んでいたところで、後に錬金術師が住むようになったためこの名が付いたといわれています。
色とりどりの小さな家が建ち並び、現在は土産物屋が入っています。
通りの中ほどに、作家カフカが1916〜17年に住んだ家もあります。
旧市街広場の南3km、ブルタバ川東岸の丘にある城跡です。
11世紀に起源を持つ城で、現在は17世紀の建物が残り、周辺は公園になっています。
教会の他に、作曲家のスメタナやドボルザークが眠る墓地もあります。丘の上からはプラハ中心部へ流れていくブルタバ川が眺められます。
プラハの南西25km、渓谷の丘の上に建つ城です。
14世紀の中頃に神聖ローマ帝国皇帝のカール4世が建造したゴシック様式の城で、歴代王の夏の別荘として使われました。
内部見学ができますが、駐車場から丘の上の城までかなり登ることになります。
プラハの南南東40kmの町ベネショフ(Benesov)の西郊にあるバロック様式の城で、小高い丘の森に囲まれて建っています。
13世紀の創建で、以後改修を繰り返し、最後の城主は1914年にサラエボで暗殺されて第一次大戦の発端となったオーストリアのフェルディナント皇太子でした。
狩を好んだ皇太子だったため、城内には多くの鹿の角や動物のはく製が飾られ、武器や甲冑などのコレクションも見所です。
チェコ西部、プラハの西100kmにある温泉保養地です。
14世紀に時の皇帝カレル4世が狩の最中に温泉を発見したといわれ、保養地として賑わい始めたのは18世紀からです。
浴用だけでなく、飲用温泉でもあり、4つの「コロナーダ(Kollonade)」という温泉施設に成分の異なる12の源泉が入っています。
町はテプラー川(Tepla)沿いの谷にあり、周辺の散策を楽しむことができます。
プラハの南西90kmにある人口17万人の工業都市です。
ドイツ語では「ピルゼン」で、ピルスナー・ビールの発祥地として有名で、ドイツからもビール飲みツアーがあるほどです。
13世紀に建設された歴史を持つ町で、15世紀の「聖バーソロミュー教会(Katedrala Svateho Bartolomeje)」をはじめ旧市街には歴史的な建造物が多く残ります。
ビール工場の見学もできます。
プラハの東南東70kmにある人口2万人ほどの町です。
13世紀に銀鉱が発見され、16世紀に掘り尽くされるまでボヘミアではプラハに次ぐ都市でしたが、その後は衰退しました。
当時の繁栄を伝える旧市街が世界遺産に登録され、旧市街にある14世紀創建で華麗なゴシック様式の「聖バルバラ大聖堂(Chram sv. Barbody)」や「聖ヤコブ教会(Kostel sv. Jakuba)」などの他、町東部にある、内部が4万人もの人骨ばかりで飾られた「骸骨寺(Hibitovni Kostel vsech Svatych s Kostnici)」が見所です。
プラハ南東130kmの町ズジャール・ナト・サーザボウ(Zdar nad Sazavou)の北郊にある丘で、丘の上にある「聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会」が世界遺産に登録されています。
1722年に建造されたゴシック様式の小さな教会で、5つの礼拝堂が放射状に突き出たユニークな星型をしており、内側に湾曲した10角形の回廊がまわりを囲んでいます。
近くには「聖マリア教会(Kostel Nanebevzeti Panny Marie)」もあります。
プラハの南130kmにある町です。
13世紀にボヘミア王オタカル2世が建設した町で、16世紀頃には銀鉱とビール醸造で繁栄しました。17世紀の三十年戦争で破壊されましたが、その後に現在のバロック様式の街並みが再建されました。
「オタカル2世広場(Namesti Piemysla Otakara II)」を中心に、「市庁舎(Radnice)」、「聖ミクラーシュ大聖堂(Katedralni Chram sv. Miklase)」などの歴史的建造物があります。
伝統的なビールの賞味が観光の一つとなっており、当地のビール銘柄「ブドバール(Budvar)」が楽しめます。
なおこの銘柄はドイツ語では「バドワイザー」で、アメリカのメーカーが強引に商標権の奪取に成功してそちらが世界的ブランドになってしまいました。(味はチェコ側に軍配があがるということです)
チェスケー・ブディヨビッツェの南西25kmにある小さな町です。
13世紀に貴族のヴィーテク家が城を建て、その城下町ができた地です。以後いくつかの貴族が交代しましたが、戦略的価値が乏しい地で、戦火に遭わずに昔ながらの町が残っています。
うねうねと蛇行するブルタバ川が縫う旧市街の中心に「城(Zamek)」があり、教会をはじめ美しい中世の街並みが広がっています。
町全体が世界遺産になっています。
チェスキー・クルムロフの地図 : 画像をクリックすると拡大します。
チェスケー・ブディヨビッツェの西15kmにある小さな村です。
200m四方の広場の周囲に、19世紀に建てられたバロック様式の美しい農家が50軒ほど並びます。
世界遺産に指定されています。
チェスケー・ブディヨビッツェの東北東80km、モラビア地方にある小さな町です。
古くから交通の要衝で、14世紀にはルネサンス風の街並みが形成されましたが、1530年の大火で焼失、その後領主のザハリアーシュがルネサンスか初期バロック様式で統一した建物を造らせました。
町の中心部は3つの小さな湖で囲まれ、「ザハリアーシュ広場(Namesti Zachriase)」周辺には絵本に出てくるような美しい色彩の当時の建物が並び、西の端に「テルチ城(Zamek Telc)」があります。
町全体が世界遺産に登録されています。
プラハの南東180km、テルチの東80kmにあるチェコ南東部の町です。
人口40万人ほどのチェコ第2の都市で、モラビア地方の中心地で、国際見本市も開かれます。
10世紀頃からの歴史を持ち、東西、南北とも1kmほどの旧市街はかつて城壁で囲まれていました。
旧市街の中心には「自由広場(Namesti Svobody)」があり、周辺に歴史的建造物や中世からの街並みが広がっています。
旧市街の西の丘にある「シュピルベルク城(Hrad Spilberk)」は13世紀創建、17世紀にバロック様式に改修された要塞で、17〜19世紀には帝国の監獄として使われたもので、全体の見学ができます。
ブルノ北西70kmにある人口10万人の町です。
11世紀に町ができ、14世紀にはモラビアの中心地になりましたが、17世紀の三十年戦争で破壊、以後モラビアの中心地はブルノに移りました。
18世紀以後復興した街並みが現在の旧市街となっており、プラハに次いで多くの文化財を有しているといわれます。
旧市街の北東部にあるネオゴシック様式の大聖堂です。
12世紀には教会がありましたが、破壊と再建を繰り返し、1890年に現在のものになりました。高さ100mの2本の尖塔が特徴です。
旧市街の中心「ホルニー広場(Horni Namesti)」にある1745年建造のバロック様式の柱です。
高さ35mで、頂上に輝く十字架を持つ人物像があり、柱全体に51の聖人の彫像やレリーフがあります。
奉献時は女帝マリア・テレジアが出席しています。
Copyright © 2006-2008 REISENDER All Rights Reserved. 海外旅行準備室