ロシアの広大な国土のうち、モスクワとサンクトペテルブルク以外の観光地を紹介します。
地球規模の広大な地域に加え、厳しい自然条件や、民主化が間もないための観光資源の整備の遅れなどで、観光地といえる場所は限られます。
ヨーロッパ・ロシアでは、モスクワ周辺の中世の町が点在する「黄金の環」のルートが主なところです。
シベリアはほとんど観光地といえるところはなく、世界自然遺産のバイカル湖周辺くらいです。
極東では、見るべき観光地ではありませんが、日本から近いウラジオストクやハバロフスク、サハリンくらいです。
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★世界遺産
・ガイド中の距離記述は、管理人が地図から求めた直線距離です。
モスクワと、その北東約300kmを流れる大河、ボルガ川(Волга/Volga)までの間に、楕円形のルート上に連なる中世ロシアの面影を残す古都群です。それぞれが10〜12世紀頃の都市国家の首都で、18世紀頃までに建造されたロシア正教の教会や修道院などがあり、「野外博物館」ともいわれます。
「黄金の環」という名前は、ソ連政府が観光宣伝と政治的プロパガンダで1974年から使ったもので、現在は定着しています。
黄金の環の地図 : 赤数字は相互間の距離です。
モスクワの北北東80kmの町セルギエフ・ポサート(Сергиев Посад/ Sergiyev Posad)にある修道院です。
1345年に聖セルギエフが創建したロシア正教の総本山で、16世紀に築かれた周囲1kmの城壁の中に多くの教会が建てられています。当時はモンゴルの侵略に対する防衛要塞の役割も担っていました。
中央にある1585年完成で、黄金のネギ坊主形のキューポラの塔の周りに4つの青いキューポラを持つ「ウスペンスキー聖堂(Успенский Собор/ Assumption Cathedral)」、1423年建造で聖セルギエフの遺体を安置する「トロイツキー聖堂(Троицкий Собор/ Trinity Cathedral)」の他、18世紀の鐘楼などいくつも見所があります。
なお、セルギエフ・ポサートはロシア名物のマトリョーシカ人形の生産地としても有名です。
セルギエフ・ポサートの北東70kmにある町で、北西にプレシチェボ湖(Плещеево Озеро/ Lake Pleshcheyevo)があります。
1152年に造られた町で、15世紀まで何度もモンゴルの襲来を受け、その後も近隣諸国の攻撃を受けた歴史があります。
町の建設時に造られた「スパソ・プレオブランジェスキー聖堂(Спасо-Преображенский Собор/ Spaso-Preobrazhensky Cathedral)」をはじめ、18世紀までの教会や修道院が点在します。
モスクワの東北東200kmにある人口30万人ほどの町です。10世紀にキエフ公国領の城塞都市として建設され、1157年にウラジーミル公国の首都となりました。
町の西にはかつての市街の入り口で12世紀に造られた「黄金の門(Золотые Ворота/Golden Gate)」、1158年創建でモスクワの同名の教会の手本となった「ウスペンスキー聖堂(Успенский Собор/ Assumption Cathedral)」、1197年創建の「聖ドミトリアス聖堂(Дмитриевский Собор/ St. Demetrius Cathedral)」などが見所です。
ウラジーミルの北東10kmの小さな町ボゴリューボボ(Боголюбово/ Bogolyubovo)にある教会です。
ネルリ川の中州に1165年に建てられたもので、周囲は何もない原野に瀟洒な白い建物があります。
川に浮かぶように見える美しい姿は「ロシア建築の白鳥」といわれ、ウラジーミルの建築物とあわせて世界遺産に登録されています。
ウラジーミルの北40kmにある人口1万2千人の町です。12世紀にはロストフ・スズダリ公国の首都で、市場町としても栄えました。
50を超える教会や修道院が小さな町に建てられ、現在もその多くが残り、中世ロシアの町の原風景が残されています。
主なものは、14世紀に要塞の役目も担った「スパソ・エフフィミエフ修道院(Спасо-Евфимиев Монастырь/ St.Euthymius Monastery)」、1364年創建の女子修道院「ポクロフスキー修道院(Покровский Монастырь/ Pokrovsky Monastery)」などで、町の南の要塞「クレムリン(Кремль/ Kremlin)」の中には「ロジェストベンスキー教会(Рождественский Собор/ Nativity Cathedral)」があります。
「クレムリン」近くには「木造建築博物館(Музей Деревянного Зодчества/Wooden Architecture Museum)」もあります。
モスクワの北東280km、ボルガ川沿いにある人口60万人の工業都市です。
1010年に城塞が建設されたのが始まりといわれ、13〜15世紀はタタール人の支配を受けましたが、その後16〜17世紀には港湾都市として栄え、商人たちが競ってモスクワ以上の寺院を建立しました。
12世紀創建の「スパソ・プレオブラジェンスキー修道院(Спасо-Преображенский Монастырь/ Spaso-Preobrazhensky Monstery)」や、17世紀に建設されフレスコ画が有名な「預言者イリヤ寺院(Церковь Ильи Пророка/ Church of the Prophet Eliah)」などの見所があります。
サンクトペテルブルクの南南東180kmにある人口30万人の町です。
”新しい町”の意ですが、9世紀中頃にノルマン人のルス族が建設したロシア最古の都市です。その”ルス族(Rus)”が”ロシア(Russia)”の語源になっています。13世紀のモンゴルの侵攻も免れ、ロシアの商工業の中心地として栄えましたが、15世紀にモスクワに滅ぼされ、以後は地方の小都市となりました。
市内を流れるボルホフ川(Волхов Река/Volkhov River)の西岸に城壁に囲まれた「クレムリン(Кремль/ Kremlin)」があり、内部に11世紀半ば創建の「聖ソフィア教会(Собор Святой Софии/ St.Sophia Cathedral)」などがあります。
市内には多くの教会や修道院が点在し、これらが世界遺産となっています。
ノブゴロド中心部の地図
サンクトペテルブルクの北東400km、広大なオネガ湖(Онежское Озеро/ Onego Lake)の北部に浮かぶ南北7km、幅は1kmに満たない小島です。
島全体に中世にに造られた木造建築が残り、島全体が世界遺産に登録されています。
特に、「プレオブラジェンスカヤ教会(Церковь Преображения Господня/ Church of the Transfiguration)」は、一つの屋根に22のネギ坊主形のキューポラを頂く奇抜な外観で、釘を一本も使わずに造られている高さ37mの壮大な木造建築で、島の目玉となっています。
隣にやはり10のキューポラを持つ「ポクロフスカヤ教会(Покровская Церковь/ Church of the Intercession)」があります。
シベリアの中南部、アンガラ川沿いにある人口60万人の町です。この地域の中心地で、シベリア鉄道が通っており、バイカル湖観光の拠点でもあります。南南東500kmにはモンゴルの首都ウランバートルがあります。
アンガラ川の西岸に駅があり、中心部は東岸にあります。17世紀に農耕武装集団のコサック兵が宿営地を設けたのが始まりで、シベリア奥地や極東探検の拠点として、中国やモンゴルへの隊商の中継地として、また天然資源の開発地として発展しました。また19世紀までは中央からの貴族や政治犯の流刑地でもあり、第二次大戦後には日本兵の抑留者もいました。
現在は工業都市として発展し、19世紀から残る美しい町並みは「シベリアのパリ」といわれます。
イルクーツク市街の地図
市街中心部の西寄り、アンガラ川近くにあるイルクーツク周辺の民族や生活に関する資料を展示する博物館です。
19世紀末に建てられたレンガ造りの建物で、少数民族の衣装や生活用品の展示が多くあり、シャーマニズムに関する展示もあります。
市街中心部の東寄りにある、かつてのデカブリストが住んだ家を博物館にしたものです。
1825年に農奴制と専制政治に反抗した貴族の将校たち(デカブリスト)が蜂起した”デカブリストの乱”の後、当地に流刑となったデカブリストたちが住みました。
内部には当時の家具や装飾品が残され、デカブリスト関係の資料も展示しています。
「トルベツコイの家(Сергея Трубецкого/ Trubetskoy's House)」と「ボルコンスキー公爵の家(Сергея Волконского/ Volkonsky's House)」の2つがあります。
市街中心部の北寄りにある教会です。1710年の創建で、石造りの教会としては東シベリア最古です。
ソ連時代は映写機修理所として使われましたが1982年から郷土史博物館の分館として、宗教関連の展示が行われています。
市街の北東、旧市街の北側を流れるウシャコフカ川の対岸にある修道院です。
1689年に女子修道院として建立され、1762年には石造りに改修されました。ソ連時代は飛行機工場となっていましたが1994年に修道院に戻されています。
教会内には17〜19世紀のイコンが残され、敷地内にはデカブリストたちの墓地もあります。
イルクーツクの南東50km、バイカル湖へのルート途中にある村タリツィ(Тальцы/Tal'tsy)にある野外博物館です。
18〜19世紀の木造の教会や民家が40ほど集められており、生活の様子や農具などが復元されています。
東シベリアにあるアジア最大の湖で、2000万年前にできた世界最古の湖とされています。
南北636km、最大幅80kmの細長い三日月形で、面積は琵琶湖の47倍、最深部は1743mと世界最深、透明度も40mと世界最高を誇ります。
多くの固有種の生物が棲んでおり、キャビアがとれるチョウザメもいます。
多くの川が流入しますが、出て行くのは南西端近くのアンガラ川(Река Ангара/ Angara River)のみです。12〜5月は凍結します。
湖岸の拠点はイルクーツクの南東70km、アンガラ川が流れ出る位置にある村リストビヤンカ(Листвянка/ Listvyanka)で、湖上遊覧船も出ます。イルクーツクからも観光ツアーがあります。
ロシア極東の最南部、日本海に突き出すムラビヨフ・アムールスキー半島の先にある人口70万人余の極東最大の都市です。”東方を征服せよ”という意味があります。
1860年に清朝からロシアに移譲され、重要な不凍港として海軍が置かれました。明治時代から日本人も居留し、ロシア革命直後には日米英の外国軍が駐留しましたが、以後冷戦で軍港として外部へは閉鎖されていました。ソ連崩壊後の1992年に一般解放されています。
坂が多く、ヨーロッパ風の町並みは「東洋のサンフランシスコ」といわれます。市内は日本時代の塗装のままで日本の中古車が走り回っているということです。
ウラジオストク周辺の地図
半島の南から幅1kmほどで細長く切れ込む湾で、南の湾口から北東へ4km入り、そこから折れ曲がって東へ6km入る”く”の字形をしています。
天然の良港で、軍艦や海軍の艦艇、貨物船などが停泊しています。市街の主要部はほぼこの湾沿いに広がっています。
金角湾が東へ折れ曲がる地点の北側にある広場です。
東西に走るメインストリートのスベトランスカヤ通り(Улица Светланская/ Svetlanskaya Str.)に面し、中央には革命戦士の像、周辺には帝政ロシア時代の建物が残っています。
毎週金曜日に自由市場が開催されて市民で賑わいます。
中央広場そばの交差点角にある博物館です。
20世紀初頭に、付近の先住民ナナイ族の猟師デルス・ウザーラとともに沿海州の探検をした地質学者アルセーニエフを記念したもので、極東の歴史や自然に関する展示を行っており、アイヌに関する資料もあります。
建物は1906年完成の赤レンガ造りで、戦前には横浜正金銀行(現東京三菱UFJ銀行)の支店が入っていたものです。
中央広場の南東、金角湾沿いの太平洋艦隊司令部そばに陸揚げされている潜水艦C-56号です。
第二次大戦時に艦隊の1隻として配備されていたもので、艦内が博物館として公開されています。
なお「C-56」の"С"はロシア文字で、「エス」と読みます。
中央広場の北東2kmにある高さ200mほどの山で、金角湾をはじめ市街が一望できる展望台です。
歩いても登れますし、南麓からはケーブルカーもあります。
金角湾の西側、中央広場の南西にあるシベリア鉄道の始発駅です。
ここから西へシベリアを横断し、モスクワまで9288kmの鉄路がつながっています。
ウラジオストク東南東80kmにある人口20万人ほどの港町です。
ウラジオストクの補完的な役割を果たし、冷戦時代は軍港として外国人の立ち入りを禁止したウラジオストクの代わりに、極東貿易の玄関となり、シベリア鉄道も外国人はここが起点とされました。
ウラジオストク開放後は重要性は低下しましたが、現在も貿易港としての役割を果たしています。
また第二次大戦後に、日本のシベリア抑留者が帰国した港として知られています。
観光スポットはほとんどありませんが、ウラジオストクからの日帰りツアーがあります。
ウラジオストクの北北東700kmにある人口60万人の都市です。町の西側をアムール川が流れ、南西30kmのウスリー川(Уссури/ Ussuri)との合流地点が中国との国境になっています。冬は零下40度に達する酷寒の気候です。
1858年にロシア帝国の監視所が置かれたのが最初で、ロシア革命時代に一時日本軍が占領したこともあります。現在は工業が発達し、極東の行政の中心地になっています。
第二次大戦後の日本兵のシベリア抑留では多くがこの近辺で強制労働に従事し、帰国が叶わずに没した人々の墓地があり、近親者の墓参が行われています。
ハバロフスク市街の地図 : 左が北になります。
ハバロフスクの西を流れる大河です。モンゴル東部に源を発し、ロシアと中国北東部の国境を流れ、ハバロクスクから北東に向きを変えてサハリン北端近くのオホーツク海に注ぎます。大量の淡水が閉じたオホーツク海に注ぐため、冬季には流氷の源となると考えられています。5月中旬から10月中旬は遊覧船が出ます。
なお、2005年11月に上流の中国・吉林市の化学工場爆発事故で流れ込んだベンゼン化合物汚染の影響が深刻だということです。
市街を東西に走る約2kmのメインストリートで、ショップやレストランが並んでいます。
アムール川河畔近くの西端には「教会広場(Комсомольская Площадь/ Komsomol Square)」、市街の中心部となる東端にはレーニンの銅像が建つ「レーニン広場(Ленина Площадь/ Lenin Square)」があります。
教会広場のそばにある美術館です。
ロシアのイコンや地元作家の作品の他、ヨーロッパの絵画もあります。極東の少数民族の衣装や工芸品などの展示もあります。
かつては帝政ロシアの将校の集会所で、文豪チェーホフも宿泊したことがあったという建物です。
極東美術館の向かいにある赤レンガの建物の博物館で、20世紀初頭には銀行が入っていた建物です。
極東開拓の歴史や、日本軍のシベリア出兵の資料、1945年の満州における関東軍との戦闘のジオラマなどもあります。
教会広場の北西にある、古い赤レンガの建物の博物館です。
1896年の開設で、極東地域の歴史や自然、風俗に関する展示が行われています。
市街中心部の東5km、広大なロシア人墓地の中にある第二次大戦後のシベリア抑留で亡くなった日本人兵士の墓地です。
310名の墓と、日本からの墓参団が建てた慰霊碑があります。日本からのツアーにも組み込まれています。
北海道の北に位置する島で、かつてはアイヌ語語源の「カラフト(樺太)」と呼んでいました。もともとアイヌが住んでいた島で、18世紀に江戸幕府が、19世紀にロシアが入り、日露戦争後の1905年に北緯50度から北をロシア領、南を日本領と定めました。
第二次大戦後の1951年にサンフランシスコ講和条約で日本は千島とともにサハリン南部の領有を放棄しましたが、ソ連が同条約に不参加だったため、現在も日本政府はロシアの領有を承認していない立場を取っています。ただ、北方四島とは異なり返還論もほとんどなく、実質的にはロシア統治を暗に認めているのが現状です。
南北1000kmに及ぶ細長い島で、面積は北海道より少し狭い程度です。島全体で55万人程度の人口で、北部は石油や天然ガスを産出します。
手付かずの自然と、古き時代の日本の面影が残る町の散策が旅のポイントですが、全体的に観光設備やサービスにおいては未整備の状況です。
新千歳、函館からユジノサハリンスクへは飛行機で、稚内からコルサコフへは約5時間のフェリーで入れる日本に最も近い”ヨーロッパ”です。
サハリン南部の東と西を山脈で挟まれた盆地にある人口18万人ほどの州都で、日本から空路の入り口の町でもあります。
”南サハリン”の意で旧日本名は「豊原(とよはら)」です。住民の2割は戦前の日本統治時代に移住してきた朝鮮系が占めるといわれます。
碁盤目状の街路に近年デパートやスーパーが登場して近代化が進行中ですが、日本領時代の建物も残っており、美術館や博物館は当時の建物をそのまま活用して日本関連の展示もされています。
日本国鉄が統治時代に持ち込んだ蒸気機関車”D51(デゴイチ)”が牽くコルサコフまでのツアー用観光列車が人気です。
ユジノサハリンスクの南40km、サハリンの南岸に開けたアニワ湾(Залив Анива/ Aniva Bay)の奥にある人口4万人ほどの町で、旧日本名は「大泊(おおどまり)」です。
稚内からのフェリーが入る日本からの海の玄関です。坂の多い市内に日本統治時代の建物が残ります。
ユジノサハリンスクの北550km、サハリン北東岸近くにある町です。
サハリン北部に住む少数民族に関する「北方民族博物館」が観光スポットです。
アクセスはユジノサハリンスクから夜行列車が一般的です。
ユジノサハリンスクの北750km、サハリン北部にある人口3万人ほどの町です。
1880年から石油産業が発展した町で、比較的近代的な町になっています。
アクセスはユジノサハリンスクから国内線か、ノグリキからのバスになります。
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