インドの大きな面積を占めるのは、ユーラシア大陸から南に大きく三角形に突き出たインド半島で、その内陸部には広大なデカン高原が広がっています。
その広い高原部には重要な仏教遺跡が点在します。
また、インド半島の沿岸部は、近世にヨーロッパの貿易拠点となった港湾都市があちこちにあります。
このページではインドの南部のスポットを紹介します。
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★世界遺産
・ガイド中の距離記述は、管理人が地図から求めた直線距離です。
インド半島の西岸、アラビア海に面する人口1200万を越えるインド最大の都市です。17世紀に東インド会社の拠点の一つとなり、20世紀には商工業都市として発展しました。
なお以前は「ボンベイ(Bombay)」と呼ばれていましたが、1995年に現地語発音の「ムンバイ」に改称されています。
ムンバイの地図
市街南端に近い、ムンバイ湾に面する埠頭の先端に建つパリの凱旋門を模した高さ26mの門で、船旅で入港したときのランドマーク的なシンボルです。
1911年にイギリス国王ジョージ5世とメアリー王妃の訪問を記念して造られたものですが、完成は1924年です。
門の前の船着場からエレファント島への船が出ます。
インド門の西にある博物館です。
1905年に当時皇太子だったジョージ5世の訪問を記念して創立されたもので、そのため以前は「プリンス・オブ・ウェールズ博物館(Prince of Wales Museum)」と呼ばれました。
美術、考古学、博物学のセクションに分かれ、特に細密画のコレクションは充実しています。
エレファンタ島出土の彫刻や工芸品なども展示されています。
インド門の北西2km、ムンバイ南岸の弓状の湾沿いに走る湾岸道路で、海岸線に沿って遊歩道もあります。
夜には街路灯がともり、その夜景は「女王のネックレス」と称されます。
インド門北5kmの住宅地にある、ガンジーの記念館です。
ガンジーが晩年住んでいた建物を保存して記念館としたもので、新聞資料や彼の活動の歴史を示すジオラマの他、本人の過ごした部屋には民主化運動で使った綿織物の糸紡ぎの道具などがあります。
ムンバイの東10kmのムンバイ湾に浮かぶ小島です。
6〜7世紀に彫られたといわれる7つのヒンズー教石窟があります。
第1窟が最も代表的なもので、40m四方に掘られた洞窟を20本の列柱が支え、高さ5mを越える三面のシバ神像などいくつもの神像が残っています。
残念ながら16世紀以後占領したポルトガル人やイギリス人によって、射撃の的にされて欠けていたり、石材として持ち去られたりして保存状態はよくないといいます。
ムンバイの東北東250kmにある、エローラ、アジャンタ観光の拠点の町です。
ムガール朝からの歴史があり、昔ながらの街並みが残り、近郊にはムガール朝の遺跡が点在します。
また北3kmには、3〜11世紀の仏教石窟寺院「アウランガバード石窟群(Aurangabad Caves)」があります。
アウランガバード北西20kmにあるインド最大の石窟寺院群です。
5〜10世紀にかけて、仏教12窟、ヒンズー教17窟、ジャイナ教4窟とインドの三大宗教が共存して造られ、丘の中腹2.5kmに並んで彫られています。
第16窟のヒンズー教「カイラーサナータ寺院(Kailasanatha Temple)」は幅47m、奥行き81m、高さ33mの空間で、150年かけて一枚岩から彫りだされたといわれています。
アウランガバード北北東75kmにある仏教石窟寺院です。
U字形に曲がる渓谷の断崖約500mに30ほどの石窟があり、1819年にトラ狩りをしていた英国人が、ジャングルに埋もれていたものを偶然発見したものです。
紀元前2〜1世紀頃のものと、5〜7世紀頃の2期に分けて造られ、後者の時代のものは美しい色彩壁画が見られます。
特に第1窟の「蓮華手菩薩」は、日本の法隆寺金堂の原形といわれる有名なものです。
ムンバイの南380km、アラビア海に面した奈良県ほどの面積の小さな州です。
16世紀からポルトガル領となり、全アジアのローマ教会の拠点として17世紀に最盛期を迎えました。その後は衰退しましたが、インドが独立を果たしてもポルトガルは変換に応じませんでした。
しかし、1961年にインド国民軍の武力侵攻によってようやく植民地から解放され、インドで最小の州となりました。
1970年代からリゾート開発が進み、インド屈指のリゾート地となっています。中心の町はパナジ(Panaji)です。
ゴアの地図
パナジの東10kmにある、ポルトガル統治時代の中心地だった地です。
最盛期には30万人の人口があったといわれ、数多くのキリスト教寺院が建てられました。
1594年の創建で宣教師フランシスコ・ザビエルの遺体が安置されている「ボム・ジェス教会(Basilica of Bom Jesus)」、1521年の創建で1661年に再建され、礼拝堂に聖フランシスコを描いた絵画のある「アッシジの聖フランシスコ修道院(Convent of St.Francis of Assisi)」、その隣にあるインド最大のキリスト教聖堂「セ・カテドラル(Se Cathedral)」などが世界遺産に登録されています。
インド半島南東部、ベンガル湾に面する人口600万を擁する大都市です。自動車やIT産業などの工業都市として発展しています。
古くから町が開けていましたが、16世紀にポルトガルが要塞を造って支配を始め、17世紀には東インド会社の拠点としてイギリス統治に移りました。
この地域はタミル語を話し、1960年代には全土のヒンディー語公用語化反対の拠点ともなりました。
長い間ポルトガル植民地時代に付けられた「マドラス(Madras)」という市名でしたが、1996年に現地語の「チェンナイ」に改称されました。
2004年のスマトラ沖地震の大津波が到達し、海岸部で被害を出しました。
チェンナイの地図
市街の東部、海岸近くにある砦跡です。
1640年にイギリスの東インド会社によって建てられたもので、内部には植民地時代の資料を展示する「砦博物館(Fort Museum)」や、アジア最古のイギリス国教会の教会「聖メアリー教会(St.Mary's Church)」があります。
また、多くの建物は現在も政府や軍がそのまま使用しています。
聖ジョージ砦の南10km、市街の東に広がるマリーナ・ビーチ(Marina Beach)の南端にある教会です。
西暦78年にキリスト12使徒の一人・聖トーマスがこの地で没し、教会が建てられたもので、1606年に大聖堂として再建されたものです。
聖トーマスの物語がステンドグラスに描かれています。
サントメ聖堂の西にあるシバ神を祀るドラビダ様式のヒンズー教寺院です。
8世紀の創建で、16世紀に再建されています。
入り口に高さ40mの塔門(ゴープラム)があり、境内には60を越えるシバ神の銅像が置かれています。
本堂にはヒンズー教徒以外は入れません。
チェンナイの西南西60kmにある町で、ヒンズー教の聖地の一つです。
7世紀からパラバ朝の都となった地で、市内に120を越える寺院が点在しています。
民族衣装のサリーの生産地としても知られます。
主な寺院は、高さ57mの塔門(ゴープラム)や樹齢3500年のマンゴーの木がある「エーカンバラナタール寺院(Ekambaranathar Temple)」、高さ33mの塔門があり、彫刻が施された96本の列柱のホールがある「バラダラージャ寺院(Varadharaja Perumal Temple)」、8世紀に石灰石で造られた「カイラーサナータ寺院(Kailasanathar Temple)」などです。
チェンナイの南60kmにある町で、現在の正式名称は「ママラプラム(Mamallapuram)」です。
ベンガル湾に面する7世紀頃のパラバ朝最大の貿易港だった地です。
西方に花崗岩の台地が広がり、岩山を洞窟状に掘削して造った「石窟寺院」、岩塊を掘削して造った「岩彫寺院」があります。
特に19世紀に発掘された一枚岩の岩彫寺院「5つのラタ(山車)(Pancha Pandava Rathas)」は有名です。
また海岸部には石造りの「海岸寺院」があります。
これらの他に、ヒンズー神話を彫った幅29m、高さ13mの岩壁のレルーフ「アルジュナの苦行」や、崖の斜面の途中で留まっている不思議な直径10mの丸い巨岩「クリシュナのバターボール」などの見所があります。
チェンナイの南南西400km、インド南端に近い人口100万人の都市です。
1世紀頃から14世紀頃まで長期間にわたってインド半島南部に栄えたパーンディヤ王国の都だった地で、ミーナークシ寺院を中心に市街が造られています。
市街の中心部にあるドラビダ様式の粋を集めた壮大なヒンズー教寺院です。16〜17世紀頃に順次建造されたもので、ヒンズー教のシバ神と土着信仰の女神ミーナークシを祀っています。
約250m四方の敷地に高さ50m以上の塔門が12基あり、それぞれの塔門は一面に極彩色の細かい彫像で装飾されています。
おびただしい彫刻が施された985本の柱が建つマンダパム(堂)は見学することができます。
南インド最大の巡礼地で、多くの参拝者で賑わっています。
ミーナークシ寺院の南にある宮殿です。
ティルマライ・ナーヤカ王が1636年に建てたもので、植民地時代のコロニアル様式にイスラム様式が混合した「インド・サラセン様式」の宮殿です。
夕方には「音と光のショー」が行われます。
マドゥライの南250km、インド半島最南端の岬で英語では「コモリン岬(Cape Comorin)」と呼びます。
東にスリランカを隔てるマンナール湾、南にインド洋、西にアラビア海が出会う地で、ヒンズー教の聖地になっています。
マンナール湾から昇る朝日、アラビア海に沈む夕陽が絶景です。
ヒンズー教の「カニヤクマリ・アンマン寺院」や「ガンジー博物館」などが付近にあります。
日の出の時間には岩場での沐浴風景も見られます。
マドゥライの西200km、インド半島南端に近いアラビア海に臨む町で、現地語では「コチ(Kochi)」とも言います。
当地を含むケララ州はコショウやナツメグなどのスパイス産地で、天然の港に恵まれた地形のため貿易の中心地になりました。そのため植民地時代のポルトガルやオランダの影響があり、ヨーロッパ人との混血も多く、インドの中では欧風の香りが高い地域です。
コーチンの地図
市街西部、湾に面するフォート・コーチン(Fort Cochin)地区にある教会です。
1510年にポルトガルの修道僧によって建てられたもので、インドのヨーロッパ人による最古の教会です。
1524年にポルトガルの航海者バスコ・ダ・ガマがインド総督として赴任直後に当地で病死し、遺体が一時期安置された場所で、今も墓標が残っています。
聖フランシスコ教会の近くにある聖堂です。
1558年の創建ですが、イギリス統治時代に取り壊され、1887年に再建されたものです。
天井や壁に美しいフレスコ画が残っています。
フォート・コーチン地区の東、マッタンチェリ(Mattancherry)地区にあるユダヤ教会です。
1568年にイギリスが創建し、17世紀にポルトガルが破壊し、18世紀にオランダが再建しています。
床には中国の柳模様のタイルが貼られ、ヘブライ語の碑文や旧約聖書の巻物などを見ることができます。
周辺はかつてのユダヤ商人が造った街ですが、大半はイスラエルに戻り、現在ユダヤ人はわずかということです。
コーチン周辺の海岸で行われている、フビライ・ハーン時代に中国商人が伝えたといわれる漁法です。
大きな四角い網を岸に固定した竹竿に取り付け、沈めた網を手動で引き上げるものです。
フォート・コーチン近くの海岸で見学ができます。
コーチンから南120kmのクイロン(Quilon)までの平野部は、多くの川が流れ、湖があり、網の目のように運河が走る広大な水郷地帯(バック・ウォーター)になっています。
コーチン南50kmにあるアレッピー(Alleppey)から北東のクマラカム(Kumarakom)までハウスボートで巡るツアーがあります。
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