海外旅行準備室 ロゴ トップページこのサイトのご案内

クロアチアの国旗 クロアチア - Croatia -

クロアチアの地図

クロアチアは、イタリアの東方、アドリア海の対岸に位置する国です。
バルカン半島の北西の付け根にあたり、北東はハンガリー、北西は小国スロベニアをはさんでイタリアやオーストリアと近い位置にあります。

東へ伸びる内陸部と、アドリア海沿いの沿海部が、隣国のボスニア・ヘルツェゴビナをはさみこむような特徴的な国土になっていて、南端の一部は飛び地になっています。

紀元前からの歴史を持ち、アレキサンダー大王のマケドニア、その後ローマ帝国の支配を受けました。

6世紀にはスラブ民族が定着しましたが、13世紀にはモンゴル軍の侵攻、16世紀にはオスマン帝国の侵攻、18世紀にはそれに対峙するオーストリアのハプスブルク帝国の侵攻や西方のベネチアの支配と、ヨーロッパと西アジアの大国のはざまという地理的位置で揺れ続けました。

19世紀初頭のフランスのナポレオンによる侵攻とその後のヨーロッパ体制の確立をきっかけに独立の動きが出てきて、クロアチアと東方のセルビアが連携する形で機運を高めていきました。
一方で南東隣のボスニア・ヘルツェゴビナとは対立、その状況で1914年にはその首都のサラエボでオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子の暗殺事件から第一次世界大戦が勃発しました。

大戦後の1918年、この地域の民族対立をかかえたままセルビアの呼びかけで、クロアチアとスロベニアも連携し、現ボスニア・ヘルツェゴビナやモンテネグロなどを含む形で「ユーゴスラビア」という連邦国家が成立しました。
しかし1930年代にクロアチアは自治権を求める動きをしましたが、そのままで第二次世界大戦に突入、まとまりのないユーゴスラビアは周辺の強国による分割統治を受けることになりました。

第二次大戦終盤、ユーゴスラビアは共産主義者主導で社会主義国家建国を宣言。チトーを指導者として一挙に東側国家への舵を切りました。ただソビエトの共産党とは距離を置きました。
一方で複数の異なった民族のゆるやかな連邦という運営のために、国内では内紛が絶えませんでした。

1980年にチトーが死去したことをきっかけに一気に民族間の分裂が顕著となり、東欧諸国の民主化の高まりに合わせて、1991年にクロアチアは北のスロベニアとともに独立を果たしました。
ただセルビア人による内紛、隣国のボスニア・ヘルツェゴビナの紛争など、いざこざは絶えませんでしたが、ようやく2000年に国情は安定しました。
また2013年には、EU (欧州連合) への加盟を果たしています。

クロアチアは、他の旧ユーゴスラビア諸国(スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ)に比べて、観光では人気の高い国です。
地理的に、他よりも景観が良いアドリア海沿岸の地域が多く、また全体的に治安も悪くありません。
また国家としても観光に力を入れており、世界遺産も多く登録されています。

日本からクロアチアへの国際線の直行便はありません。
ヨーロッパの主要空港経由で、首都ザグレブや古都ドゥブロブニクに入ることができます。




クロアチアの概要

主要データ

面積: 5.6万ku(四国と九州を合わせた程度)
人口: 426万人(2012年)
人種: クロアチア人(90%)、セルビア人(5%)
言語: クロアチア語
宗教: ローマ・カトリック(9割)

気候

内陸部は年較差が大きく、冬は厳寒、夏は快適です。
アドリア海沿岸は、地中海性気候で温暖です。

時差

日本標準時 − 8時間です。
3月の最終日曜〜10月の最終土曜日はサマータイムで 日本標準時 − 7時間 となります。

通貨

クーナ(略号:kn、通貨コード:HRK)


クロアチアの観光地

このエントリーをはてなブックマークに追加

海外旅行準備室