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イランの国旗 イラン - Iran -

イランの地図

イランは、中東地域の一角を占める国で、東にはアフガニスタンとパキスタン、西にはイラクとトルコがあります。

また、南はペルシャ湾とオマーン湾の北岸を占め、北はカスピ海とトルクメニスタンやアゼルバイジャンなど旧ソビエト連邦の国々と接します。

日本の4倍以上ある広大な国土ですが、北西から南にかけての西半分は大きな山脈が走っています。
北部のカスピ海沿いにも急峻な山脈が走り、東部の国境沿いも山がちな地形です。
これらの山々に囲まれた広大な盆地が中央部にありますが、ここは全般に砂漠となっています。
平地がほとんどなく、主な町は山間部にあります。

紀元前3000年からの歴史を持ち、早くから王国が興りました。
紀元前550年にアケメネス朝ペルシャが成立し、現在のギリシャ、エジプトからパキスタンに及ぶ大帝国となりました。
紀元前330年にアレキサンダー大王のマケドニアに滅ぼされましたが、ほどなく復活しました。

7世紀のササン朝の時代にイスラム勢力に滅ぼされ、ゾロアスター教だった地域がイスラム化しました。
以後、13世紀にはモンゴルの征服、15世紀ごろにはチムール朝の支配を受けましたが、16世紀から再びペルシャとして復活しました。

19世紀に入ってロシアやイギリスの干渉を受けながらも近代化が始まりましたが、20世紀に入って議会制度への熱望が台頭した国内の混乱、さらに第一次大戦やロシア革命など、近隣地域の大きな歴史のうねりの波をかぶりながらも国を維持しました。
1935年には「ペルシャ」を「イラン」という国名に変更、しかし第二次大戦では連合国に占領されました。

戦後は新たなイランとして出発しましたが、独裁的な政治に傾き、それに反発して1979年にホメイニ師によるイラン革命が勃発。そして帝政は終焉し、イスラムによる共和国に移行しました。
ただアメリカはこれを「反米国家」と決めつけて対立、2000年代には核開発疑惑によってテロ支援国家に指定されました。
2013年に穏健派のロウハニ大統領が就任、これまでの強硬路線から一転、アメリカや欧米との対話が始まりつつあります。

核開発、反米主義、テロ支援など、過激な悪のイメージが先行する国ですが、比較的国内の治安は良好です。
さらに日本とは古くからの経済の結びつきがあり、親日の国でもあります。
また人懐っこく親切な国民性を持ち合わせていて、中東の他の国に比べてぼったくりなども少なく、意外と旅行はしやすいです。

もちろんイラクやアフガニスタンなどの国境地域は危険ですが、歴史的な観光資源がある主要部については、魅力的な観光対象となります。

日本からイランへの直行便はありません。
ペルシャ湾周辺のドバイ(アラブ首長国連邦)やドーハ(カタール)を経由して首都テヘランへ入るのが一般的です。




イランの概要

主要データ

面積: 165万ku(日本の4.4倍)
人口: 7642万人(2012年)
人種: ペルシャ人(5割)、アゼリー人(2.5割)
言語: ペルシャ語(公用語)
宗教: イスラム教(シーア派)(9割)、イスラム教(スンニ派)(1割)

気候

主要部は山間にあり、比較的四季がはっきりしていますが、夏は少雨で暑く、冬の冷え込みは厳しい大陸性気候になります。
ペルシャ湾沿岸は、冬は温暖ですが、夏は50度を越える酷暑となります。

時差

日本標準時 − 5.5時間です。
3月の春分の日から、9月の秋分の日の前日までがサマータイムで 日本標準時 − 4.5時間 となります。

通貨

イラン・リアル(通貨コード:IRR)


イランの観光地

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